たのきんとは?
「たのきん」とは、1980年前半にかけてジャニーズ事務所で活躍した田原俊彦(トシ)、近藤真彦(マッチ)、野村義男(ヨッちゃん)の3人のグループ名称。
名称の由来は、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」のそれぞれの文字より抜粋している。

TBS『3年B組金八先生』(1979-1980)に生徒役で出演したことにより注目され、続いて1980年5月に放送されたフジテレビ系ドラマ『ただいま放課後』でますます人気は加熱。
田原俊彦のレコードデビューを筆頭に相次いで歌手デビューする。
「たのきん」としての活動は、TVドラマ、バラエティ、コンサートのほか、主演映画6本に出演。
「たのきん」としてレコードデビューした訳ではないが、当時のジャニーズ事務所低迷期の風潮を一気に塗り替え、たのきんによって以後のジャニーズ事務所は急成長を遂げたと言っても過言ではない。
また後続するシブがき隊や少年隊などが次々とデビューし、1980年代の男性アイドルの先駆的立場を担った。
(たのきんとしての活動期間:1980年~1984年)
■田原俊彦(ニックネーム:トシちゃん)

1961年2月28日、B型、山梨県甲府市出身。
1980年6月、たのきんの先陣を切り、レイフ・ギャレット『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビュー。
3人の中で最もダンスが得意で、日本のポップス界において初めて歌って踊るスタイルを確立させた。
1980年の第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞をジャニーズ事務所として初受賞。1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップ。
1983年の第14回日本歌謡大賞でグランプリを受賞し、ジャニーズ事務所にとっては、初の音楽祭におけるグランプリを受賞した。
また、『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持ち、TBS系『ザ・ベストテン』では最多出場記録を持つ。
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■野村義男(ニックネーム:ヨッちゃん)

1964年10月26日、A型、東京都中野区出身。
1982年12月に映画「三等高校生」で初主演、1983年6月、アルバム『待たせてSorry』でソロレコードデビュー。
同年、ロックバンド「The Good-Bye」を結成し、『気まぐれOneWayBoy』でバンドデビュー。
1983年の第24回日本レコード大賞・最優秀新人賞受賞。通算15枚のシングルと9枚のアルバムを発表。
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■近藤真彦(ニックネーム:マッチ)

1964年7月19日、O型、神奈川県横浜市出身。
1980年12月、『スニーカーぶる~す』で歌手デビュー。男性ソロアイドルとしては初のオリコン初登場1位、ミリオンセールスを達成。
1981年の第23回日本レコード大賞・最優秀新人賞受賞。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。
『ブルージーンズ・メモリー』から『ケジメなさい』まで14曲連続オリコン1位を記録。
1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した。
現在もなおジャニーズ事務所所属。
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